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2007 12,09 09:27 |
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私が悩んでいた神経症
私が 悩んでいた症状は、赤面恐怖、視線恐怖、対人恐怖でした。一番最初に現れた症状は赤面恐怖で、人前に出る時は必ず「顔が赤くなって変に思われたらどうしよ う」という予期不安から極度に緊張して普通に話すことができなくなってしまいました。さらに高校生になった頃からは、視線恐怖と対人恐怖の症状も現れるよ うになり、人前だけでなく一対一で話していても急に赤面するようになってしまいました。 視線恐怖の症状が表れたのは、人と話をしている時に急に自分の視線をどこにやればよいかわからなくなってしまった時からでした。「人と話すときは目と目を 合わせなければならない」という固定概念から「相手の目を見なければ変に思われる」と思うようになり、そう思えば思うほど人の目を見て話すことができなく なってしまいました。それからは人と接するたびに赤面恐怖と視線恐怖の症状にとらわれ、また気の利いた面白い話ができないというコンプレックスから、今私 と話しているこの瞬間にも、その人の心が離れていってしまうような気がして、いつも孤独感でいっぱいでした。 当時の私は、神経症ではない人たちがみんな幸せそうに見え、「何で私だけこんな目に会うのだろう?」「どうして神経症なんかになってしまったのだろう?」 とただひたすら落ち込むばかりで、「このまま一生神経症のままだったら・・・」と思うと真っ暗な気持ちになってしまいました。ちょうどそんな時に当会のポ スターに出会い、生き方療法のお話をお聞きする機会に恵まれました。 因果の道理を教えていただいて メンタルヘルス友の会では、その場しのぎのなぐさめの言葉はおっしゃいません。「間違っていることは間違っている、正しいものは正しい」とこれからの方向性をはっきりとわかりやすく示して下さいます。 生き方療法のお話の中で、「蒔いた種は生える、蒔かぬ種は生えぬ」という因果の道理を教えて下さいました。因果の「因」というのは行為のことで、「果」と いうのはその行為が引き起こす結果のことです。つまり、因果の道理とは、行ないをすれば、必ず結果が生じるということです。私が神経症で苦しんでいるとい う結果には必ず原因があります。最初のうちは、私の苦しみが自分自身から生み出されているということに気付きませんでしたが、続けてお話をお聞きするうち に、種蒔きをせず結果ばかりを求めている間違った考え方が自分の苦しみを生み出していることに気付きました。 私は神経症でさえなければ、何もしなくても人前で悠々と話すことができ、人と楽々会話をすることができると思っていました。しかし、それは因果の道理に反した間違った考え方でした。 生き方療法では「その人の魅力はその人の種蒔きだ」と仰います。それなのに私は、あるスタッフが「自分が一生懸命勉強したにも関わらず、何にも勉強をしな い隣の子の成績が上がったりはしませんよね。」という例え話、つまり自分の種まきが他人の結果として表れたり、逆に他人の種蒔きが自分の結果となって表れ るということはないという話を「当然だろう」と鼻で笑っていましたが、よくよく考えてみると本当は私こそが、自分が楽をして結果を得ようとする間違った考 え方をしていたのです。 因果の道理の実践 → 『聴聞』 それからは、「蒔いた種は生える」という言葉を信じ、ひたすら種を蒔こうとがんばりました。まず私ががんばったこと、それは『聴聞』です。生き方療法で は、何度も何度もわかるまで間断なく聞き続けなさい、と御指導して下さいます。何もできない私でしたが「これだけは!」と思い、参加できる行事にはできる 限り参加し、生き方療法のお話を真剣に聞くように心がけました。大阪から主に行事が行われる東京までは距離が離れていましたが、「遠きは近き道理なり」と いう言葉をお聞きし、名古屋や東京で行われる行事にも積極的に参加しました。「遠きは近き道理なり」とは、遠くから時間とお金と労力をかけてお話を聞きに 来ると「元を取ろう」という欲の心が働いてより真剣にお聞きすることができるという意味の言葉です。 このように一生懸命生き方療法のお話をお聞きし、少しずつ生き方療法を実践するうちに、気付いたら神経症の症状が徐々に楽になっていました。 PR |
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